うぇいくあっぷ

タチアガリ、タチムカウ

言いたいことがあるんだよ

なにかを書きたい。
その衝動のきっかけになるものはひとつじゃないと思いますが、私の場合は良い文章に出会った時に、特にその思いがあふれだしてきます。

この数か月の間、Wake Up,Girls!(WUG)という声優ユニットを追いかける中で、彼女達のファンであるワグナーの方々が書かれた、さまざまな文章に出会いました。
それらを読むうち、自分でも文章を書きたいという気持ちが爆発寸前になり、人生初のツイッターに手を出し、ブログまで始めてしまいました。



書きたいことはわんさかあるのですが、まず最初に伝えたかったこと、それは
「すべてのワグナーへのありがとう」

もちろん、WUGのメンバー、彼女達を支える多くのスタッフの皆様へも、抱えきれない大きな感謝の気持ちを届けたい。
でもその想いは、これまでもライブの会場で、声を枯らして叫んできたつもりです。
(それでもまだまだ足りませんが)

その一方で、ワグナーの端くれでありながら、同じワグナーに「ありがとう」の一言も言えないことが多かった。典型的な人見知りで外地蔵(それでいてコールは満開全開)なオタクである自分は、ライブ会場への道すがらや、ライブ後の飲食店で見かけるWUGグッズを身にまとった方にも、会場で隣の席になってくれた方にも、声をかけるもうひと押しの勇気が持てずにいました。


そんな時、WUGのリーダーが、自身の故郷である熊本で行ったライブで、一通の手紙を読みました。WUGのメンバーへ、スタッフへ、そしてワグナーへ向けた手紙を。

彼女は以前からこう言っていました。

ありがとうをためらわずに言おう
ごめんなさいを恐れずに言おう
愛してるを照れずに言おう


想いを手紙という形に、文章という形にした彼女に倣い、拙いながらもこの気持ちをぶつけたい。


私がWUGを好きになったきっかけのひとつ、それがワグナーの皆さんでした。
初めて行ったライブ(WUGのライブとしてだけでなく、文字通り人生初のライブでした)は2015年12月12日に行われた
「WUG!Festa.2015」
でした。
その前から布教をしてくれた先輩(その先輩にも、なかなか面と向かっては言えていませんが、ちゃんとありがとうを伝えねば)に連れられ、幕張メッセに向かったあの日。今ではコールまでそらで言える曲も、その時は数曲のサビが辛うじてわかるくらいの予習具合でした。
それでも心が揺れ、体も熱くなり、そしてなによりとにかく楽しかった。それはWUGをはじめとしたキャストの力はもちろん、ワグナーも含めた会場が作り出した空間、その居心地が良かったから。

ライブの前日に公開された映画、そこで披露された新曲まで含め、ひとときも冷めない熱気と覚めない興奮。
コールというもの自体をよく知らなかった自分も、曲の2番、ラスサビと続くうちに、声を上げるようになり、借り物のペンライトを掲げていました。

ある意味調子に乗り出した頃、自分だけコールの声が一回多くなったり、周りのペンライトが鮮やかに色を変えるのに追いつけなかったり、ということが。
(というか、未だに自分はそこら辺でわちゃわちゃすることが多々あります)
そんな時も、温かく迎えてもらった気がした、それが私の初ライブ、そして今も通い続けているWUGのライブです。
私の場合、特別何か優しい声をかけてもらったとかではないので、
「それはあなたの壮大な勘違い、思い過ごしでは」
と言われると
「むむむ」
としか返せないのですが、少なくともそう思わせるだけのものがそこにはある。そんな気がしてた。


友を見ればその人がわかる

という言葉がありますが、それと同じようにファンを見ればそのファンが応援しているものがどのようなものなのかが見えてくるのだと思います。
WUGの応援グッズを身に纏い、文字通り背負った推しの名前に恥じないような、掲げるペンライトの輝きを曇らせないような、そうした言動を心がけるワグナー諸兄諸姉のおかげもあって、一緒に仕事をした関係者からも含め、WUGはここまで愛されているのだと思います。
(彼女達自身の輝きによるところは言うまでもなくですが)

もちろん、アイドルである前に人間である、いわんやオタクをや。
聖人君子の集まりとは言えないでしょう。私自身が煩悩まみれの俗物です。
そんな私でも、ファンの不始末は推しの恥、遠征先でも地元の堅気の皆さん方にご迷惑をかけちゃいけねぇ、WUGの姐さん方に涙をこぼさせるわけにはいかねぇ、そう思って日々を過ごすことで、ちっとはましな人間になれた気がします。

胸を張って自分はワグナーなんだと名乗れるように。
願わくはいつの日か、ワグナーの誰かが胸を張って名乗るときの、その一助になれるように。


WUGの好きなところは星の数ほどあるのですが、彼女達の背中に特に惹きつけられてきました。
小さいはずなのにとても大きく見えるその背中には、あの空を目指しはばたくための、鋭い翼が確かに見えたから。

愛とは互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめることである

その言葉を思い出すからかもしれません。

ライブでは後方の席が多く、殿から見渡す回も何度もありました。
(ちなみにWUGのライブの座席には、大当たりはあれど、外れはありません。当たりではないという意味の外れも、端っこという意味の外れも。)
そこで見えた景色は、WUGという名の同じ星の光を追いかけるワグナーの背中で、同じものを好きって言えることのありがたみを教わった気がします。

私はまだ、彼女達の背中を押すだけの覚悟を決めることができずにいます。
ただ、ぐらつきそうになった時に背中を支えることができたら。そんな思いもあります。

私が好きなゲームで、王である兄を持つ弟が

兄貴は国を支える。俺はその兄貴を支える。

という台詞を放ちます。

彼女達に差し伸べられる手は、こんなにもたくさんあって、私もその一部になれたら。
彼女達を支える誰かの支えになることで、ひとつの解に近づけるのかもしれない。

だってだって追いかけたいんだ


繰り返しになりますが、ワグナーだって人間です。
綺麗ごとばかりじゃありません。
でもWUGが好きだという、その一点の重みに私は賭けたい。

ワグナーが信じるWUGを信じて
WUGが信じるワグナーを信じて


先に例を挙げた方々以外も含め、改めてワグナーにお礼を伝えたい。

私の前を歩いてくれたワグナーへ。
WUGを世界から見つけてくれてありがとう。
あなた達のおかげで、私もWUGと出会い、多くの時間を共に歩むことができました。

私の隣を歩いてくれたワグナーへ。
WUGの世界を広げてくれてありがとう。
あなた達のおかげで、私は出会ったWUGと共に、多くの景色を見ることができました。

あなた達は私の誇りです。


ありがとうをワグナーに、これからワグナーになる人も含め、できるだけ多く届けたい、というある種の承認欲求もあります。

ただ、まずは自分に向けて。
ワグナーであり続ける未来の自分に。
叶うなら、まだワグナーでなかった過去の自分に。



2019年3月8日、WUGとワグナーにとって、ひとつの節目となる日が近づいています。
HOMEツアーを追いかけてきて、驚くほどの進化を見せてもらったWUGに対してはもはや信頼しかありませんが、私は同じくらい、ワグナーにも人間の可能性、その一端を感じています。


アイドルは物語である

WUGのアニメで、アイドルである彼女達の社長が述べた一言です。


誰しもが自分が主役だけど
君の助演賞ほしくなってるよ

WUGのメンバーの一人、そのソロ曲の歌詞の一節です。


アイドルという物語
オタクという物語
たったひとつじゃないやり方
冴えたとも言えないかもしれないやり方
でも確かにここにあった物語の可能性を見ることができるはず。
そう信じて。
約束の地、約束の時で待っています。