うぇいくあっぷ

タチアガリ、タチムカウ

余談あるいはただひたすらの蛇足

以下、長い長い余談

当初は前の記事に書いていましたが、余談と前置きしてみても、スクロールバーの長さが読む気をゴリゴリ削ぐのは避けられないため、きっぱりさっぱりバージしました。
あと、企画の目的に抗うような内容もありまして。



「人はオタクに生まれるのではない、オタクになるのだ」
と、とある哲学者は言いました(言ったかな)が、独断と偏見に任せて吐き捨てるなら、オタクになるタイミングって挫折とかが絡んでいる気がします。
「自らの挫折の中に信仰を持つ者は、自らの勝利を見出す」
と、とある哲学者は言いました(これは本当に言いました)し、大抵の人はなんやかんや大なり小なり挫折してるんじゃないか、つまり人類みなオタクでは、とも思ったり思わなかったりしますが、中でもWUGって、欠落とか喪失とかに、ぴったりはまるというか、そっと寄り添ってくれるというか、そのフィット感が高めなように思えます。


そして、もっとも必要とする瞬間に、ビタミン(・カンターレ)みたいに、旅人を癒す水のように、目の前に来てくれるのがWUGなんじゃないか。

少なくとも私はそうでした。
だから「もっと早くに出会いたかった」という後悔はありません。
2015年12月12日、あの時がはじめましての瞬間で本当に良かった。
今もそう思いますし、そう思えるように生きていきたい。


なので、これからWUGに出会う方には、
はじめましての瞬間、これをぜひ大切にしてほしい
なと。

今は刺さらなかったとしても、いつか必要とする時が来たら、もう一度スタートしてほしい。
だから、慌てる必要はないのではないかと。

正直、3月8日までは焦りがありました。
歩いても、走っても、迷って巡って辿り着けないのではないかという不安。

もちろん、この先も限りあるライフタイムというのは変わりません。
ただ、5か年計画どころか10年先、20年先までも見据えよ、というのが、同志アイリーンよりのお達しでしたので。
気長に、地道に、着実に、もうちょっとあと一歩を続けていき、はじめましてをいっぱいに広げていきたいなと
進んで、止まって、それぞれの歩幅に合わせてきてくれる
それがWake Up,Girls!だから


とんだ水差し野郎ですみません。
基本的に私の文章は、ごめんねとありがとうです。
(これ自体が、火に油を注ぐような謝罪案件な気もしますが。)



ちなみに、前の記事の冒頭は、今年の2月に初めてブログを書こうと悶々としていた中で実際に見た夢です。
三人称の夢はあまり見ないこともあり、今でも印象に残っているのですが、「幸せそう」ではなく、「幸せ」というのは確定的に明らかで。
椅子に座っていて、食卓を前にしていたような気もしますが、はたして室内かはたまた屋外かも何とも言えず。
誰かと一緒だったようにも思えますし、一人だったようにも感じます。

時間軸もあやふやで、まだWUGを知る前、さらに前でWUGそのものが生まれていない時だったのかもしれません。
あるいは、上手に忘れることができた未来だったのか。
いつもは気に留めていないけど、ふとした時に思いだせるというのは、ひとつの理想形にも思えますが、如何せん、その境地に至るには、まだまだ精進が足りぬようで。


その後もWUGの夢は何度か見たような気がしますが、もしもWUGが解散しなかったら、という夢はありませんでした。


そして、今回の記事を書くにあたって、再び悶々としていたところ、またひとつの夢を見ました。

今回の夢はFPP、私は老人となっていました。
舞台は亜熱帯の繁華街の一画。
海外なのか、温暖化が進んだ日本のどこかなのか。
屋台の露天が並ぶその向こうには、天を衝く建造物があり、それが宇宙港であることを、夢の中の私は当たり前のように知っていました。

薄っぺらいSFのリソースでは、この程度の世界観が関の山ですが、そんな混沌の中を、僕はどこかに向かって歩き続けていました。
どこか、ではないですね、どこに向かっているかも十分知っていました。

目的地は、とある屋外の舞台。
そこに七人がいることを。
そして、僕はよぼよぼのしわしわになっていましたが、七人はあの日の姿のままということも。
僕は知っていました。


そこに向かう途中で、夢は覚めました。



長生き、しないとな